(一社)岐阜北法人会は、岐阜北税務署管内の法人を会員とし、岐阜県知事の許可を得て組織している公益法人です。

WEB会報

2010 春季号 No.123

第31回通常総会開催のご案内

  陽春の候 ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
 さて、第31回通常総会を下記のとおり開催いたしますので、何かとご多用のところ恐縮に存じますが、ご出席くださいますようご案内申し上げます。
 尚、お手数ですが、通常総会への出欠につきましては、別添の綴じ込みの「郵便はがき」により来る4月30日(金)までに事務局あて、ご回報くださいますようお願い申し上げます。
 ご欠席の場合は委任状に記名、押印の上、支部役員にお渡し頂くか、ご送付くださいますようお願い申し上げます。

社団法人岐阜北法人会 会長 小島 伸夫 

 

 

 

 

開催のご案内

日 時 : 平成22年5月24日(月) 午後4時~
会 場 : 岐阜都ホテル(岐阜市長良福光2695-2 TEL 058-295-3100)
        <アクセス>岐阜バス「長良川国際会議場前」または「長良川国際会議場北口」下車 徒歩3分
                会場の詳細は岐阜都ホテルの公式ウエブサイトをご確認ください。

タイムスケジュール :

午後4時~   通 常 総 会            <議 題>    
        第1号議案   平成21年度 事業報告承認の件
        第2号議案   平成21年度 財務諸表報告承認の件(監査報告)
        第3号議案   平成22年度 事業計画(案)承認の件
        第4号議案   平成22年度 収支予算(案)承認の件
        第5号議案   公益法人制度改革に伴う一般社団法人認可申請の件
午後5時~   懇 談 会        
午後6時30分         終 了 予 定        

表紙

ぎふきた法人会報 「篝火」  2010 春季号 No.123

Index

会報 「篝火」  2010 春季号 No.123

・(社)岐阜北法人会 第31回 通常総会のご案内
・ふるさと秘話 No.87 ~ゾルゲ事件の県人たち~
・経営者訪問 ~藤沢工業株式会社  藤沢 時男 氏~
・税務署コーナー
・支部だよりあれこれ
・委員会あらかると ~タックスフェスティバル2009~
            ~ブロック合同講演会 勝谷 誠彦 氏~
・納税表彰
・青年部会コーナー
・女性部会コーナー
・税務研究会コーナー
・新入会員紹介
・編集後記

<表紙の写真>
 
カタクリ
Erythronium japonicum ユリ科

 今年は名古屋においてCOP10が開催される。これは地球上に多種多様な動植物が生存している事の意義を理解しそれを守っていこうとする「生物多様条約第10回締約国会議」のことである。

 岐阜県は日本の中央部に位置する事と標高が0mから3,000mまである事により多様な動植物が生息する生物多様性にふさわしい県である。

 ここに紹介するカタクリも各地に自生地はあるが岐阜市周辺の里山に今も多く見うけられる野生種である。特にカタクリはあたり一面に群生する性質があり生えてる場所に行くと圧倒される。更に近づいて1輪1輪見てみると花弁を反転させながらうつむきかげんに咲くさまは何とも可憐で美しい。

 生えているのはやや湿り気のある北側の斜面で落葉樹の下になるような場所。山奥ばかりではない。住宅地のすぐ近くであったりもする。

 地下に球根を有する。これには良質のデンプンが含まれる為、その昔、片栗粉を採った。野生の動物にとっても貴重な食料である。その為、カタクリの球根は採られないように地中深く潜っていく性質がある。カタクリを狙うのは人間や野生動物ばかりではない。春の女神ギフチョウがその花の蜜を求めて訪れるのである。このように生き物はお互いに支え合っているから生物多様性の大切さが理解できる。

(有)長良園芸 安藤 正彦

<写真提供>
有限会社長良園芸
岐阜県岐阜市長良堀田903
TEL:058-231-6050  FAX:058-231-6053
定休日:第1・第3火曜日
http://www.nagaraengei.com/

平成22年度 法人会費の納付について

平成22年度の会費は6月14日が納付期日となっておりますので、よろしくお願い申し上げます。
尚、口座振替扱いの会費納入は、お取引金融機関のご決済を確認いただくことで、領収書に代えさせて頂きます。

ふるさと秘話 No.87

ゾルゲ事件の県人たち 

エッセイスト 道下 淳

 このほど久しぶりに出会った友人と、お茶を飲みながら長話をした。話題は先の戦争中に検挙された国際スパイ団「ゾルゲ事件」についてだった。その中心人物のひとり尾崎秀実(ほずみ)氏は刑死(1944)した。父親は、加茂郡白川町の出身だった。それだけにこの事件の関係者には、岐阜県出身者も多かった。それに筆者は岐阜市北長森にあった引き揚げ者寮に入居しておられた秀実氏の父親を訪ねたことがある。そんな話をしているうちに、時間が過ぎてしまった。筆者はこのとき引き揚げ者寮の前身、中部4部隊(歩兵68連隊留守隊)のことを思い出した。

 引き揚げ者寮に尾崎秀実の父秀真(ほずま)氏を訪ねたとき、旧兵舎の内務班(分隊)をそっくりベニヤ板で仕切り、1世帯ずつ入室者に割り当てていた。兵舎時代は廊下側に鉄砲を置く銃架があった。それが敗戦により、民間に解放され、感慨無量だった。

 筆者が中部4部隊の第7中隊1班に入ったのは、昭和19年(1944)10月のこと。入隊当日はお客様扱いだったが、翌日から待遇が一変し、ひどい仕打だった。同期の兵隊は約1,000人いたが、半月ほどたった真夜中にたたき起こされ、新品の軍服に竹の水筒を持ちひっそり出発した。もちろん見送りは許されなかった。このなかに2人の友人がいたが戦死した。戦後に調べたらこの部隊は、中国南部で戦ったそうである。

 ところで尾崎氏ときみ夫人が入寮した部屋であるが、広さ20畳ほどで、床は軍隊当時の板張りのままであった。隣りとの境の壁には、ベニヤ板で片開きの扉をつけた整理棚が8個ほど造り付けられ、ふとん、衣類、身回り品から食器類まで収納していた。片隅に木造のベッドがあった。筆者らは鉄製のベッドを使用したが、それらは全部木造と換えられたらしい。入居する時ベッドは買ったそうだ。

 尾崎夫妻はだだっ広い感じの板の間中央に、4枚ほどのムシロを敷いて座っておられた。よく見るとムシロは畳代わりの上物でなく、穀物などを入れるカマスを解いたものであった。炊事は廊下にコンロを置いて行ったが、水を運ぶのが大変と言っておられた。

 夫人は岐阜市内の繊維工場へ通い、わずかな労賃で一家を支えておられた。フロは軍隊時代からの「六八湯」があるものの、生活のことを考えると、たまにしか行けないと、笑われた。

 尾崎家へ取材に行くとき、手みやげになにか食材になるものをと、上司からなにがしかのお金をいただいた。古いことなので、全額は覚えていない。早速駅前のハルピン街でヤミのメリケン粉(小麦粉)を1斤(600グラム)か2斤、買って出かけた。上司も同家の家計の苦しいことを、知っていたからであろう。この手みやげにきみ夫人はよほどうれしかたとみえ、何度もお礼を言われた。

 2回目にはやはりハルピン街でヤミで売られているジャガ芋を求めた。手みやげにジャガ芋を選んだのは、次の理由があったためである。同居人に末子で中学のスエ子さんがいた。学校では給食が出るが、遠足のときは各家庭でおにぎりとかいなりずしなどを用意した。ところが尾崎家では当日弁当にするような食材がなく、きみ夫人はうでたジャガ芋に食塩を添え、弁当代りにした。スエ子さんは何も言わなかった。母親に悲しい思いを、させたくないためではなかったろうか。この話は前回訪問したとき、夫人から聞いた。末子さんの兄で上京していた秀樹(ほずき)氏の初期の作品で、ゾルゲ事件に関する自伝的な「生きているユダ ―ゾルゲ事件― その戦後への証言」のなかでもこのことが思いを込めて記されている。

 ある日、引き揚げ者寮でばったり、病身らしい秀樹氏に会ったことがある。3回目か4回目の訪問のときである。早速初対面のあいさつをした。東京の新聞社に勤めているが、胸が悪いため人並みの活動が出来ない。兄秀実氏の友人が、何かと親切にしてくれると語られた。そのなかで、川合貞吉氏(大垣市出身)や伊藤律氏(瑞浪市出身)らの名前が出た。うち伊藤氏は戦後米陸軍省が発表したゾルゲ事件の報告のなかで取調べのとき、同志の名前をもらし、それが事件発覚の糸口になったとされる。当時は秀樹氏もこの情報を知らなかったとみえ、伊藤氏に対し、さほど批判がましい発言は聞かれなかった。

 川合氏はやはりゾルゲ事件に連座し、10年の刑を受けた。しかし戦後の政治犯釈放で出獄した。秀実氏らゾルゲ事件関係の話をよく聞かしてもらったと、秀樹氏は語った。「生きているユダ」にも川合・秀樹両氏が同じ寮に住んだことがあり、川合氏の語る事件に関係した同志の話は『たしかに生きていた。川合の愛情のこもった言葉のなかで、かれらは躍動していた』と、記している。また『秀実のことを語るとき、川合の言葉は力点をつけたようにひびく』とか、『尾崎以上に愛情の豊かな人間はざらにはいません。その愛情があったからこそ、私は励まされ導かれて最後まで闘えたのです』と、印象的な文章で結ばれている。

 秀樹氏が上京するとき頼ったのは、東京・目黒に住んでいた秀実氏夫人の英子さんだった。しかし期待したほどのめんどうは見てもらえなかった。そのため職と住を転々とし、苦労したわけである。長女の楊子さんは戦争中岐阜に移り、しばらく加納高等女学校に通っていた。学校でも父のことが気になるのか、ひとりぼっちでいることが多かった。と、かつてのクラスメートから聞いたことがある。秀実氏が獄中から英子さんや楊子さんに宛てた書簡を集めた「愛情はふる星のごとく」は、戦後ベストセラーになった。このなかには子を思う秀実氏の気持ちがあふれ、涙無しには読めない。

 秀樹氏が追及していた伊藤氏は公職追放の際、身を隠し中国に渡った。同55年(1980)帰国したがゾルゲ事件などについて何も語らぬまま、平成元年8月に、また同事件を追及していた秀樹氏は同11年9月、それぞれ死去された。秀樹氏は、61歳の働き盛り。大衆文学研究に大きな足跡を残されただけに、その訃報は悲しかった。 


旧歩兵68連隊で、中央の2階建てが6・7中隊だった。引き揚者寮は左、平屋建て物の辺りにあった。(昭和30年代中ごろ写す)

経営者訪問

訪問先 / 藤沢工業株式会社
代表者 / 代表取締役 藤沢 時男 氏

「たった1人、ゼロからのスタート」
今の状況なんぞ、何も怖くない!
25歳で独立したときは仕事も資金もない、わずか10坪の小屋と小さな溶接機1台、
自分の腕だけ信じて、まさに裸一貫、魂の創業!

創業以来、常に時代ニーズに応えたモノづくりを目指しています。
それは、ただ単にデザインにおいてだけでなく、製品の安定した性能、より高いクオリティをも満足させるものとなっています。
このスタンスが数々のヒット商品となり多くの人に受け入れられたのだと考えています。
時代の変化に対応できる体質づくり・切り替えができる会社に!

< 沿  革 >
1964年、岐阜市日野で「藤沢工業所」を創業、車両用部品の製造を開始。
1970年、法人組織に変更「藤沢工業株式会社」とする。
1983年、折りたたみチェアの製造を開始。
1984年、業務用チェアの製造を開始。
1985年、岐阜市日野東に日野橋工場を開設。
1992年、ミーティングチェア・ロビーチェアの製造を開始。
1994年、台湾工場と技術提携。同工場にて事務用チェアの製造を開始。
1995年、東京・大阪営業所を開設。「TOKIO」ブランドを立ち上げる。
1999年、各務原市蘇原北陽町に各務原工場・配送センターを開設。
2000年、広島出張所を開設。工場部門、ISO9001取得。
2001年、中国工場と技術提携、折りたたみチェアなど生産開始。
2003年、九州営業所を開設。 
2008年、静岡営業所を開設。

経営の秘訣とは
 「お客様が求めているものは何か?」を常に調査し、社内で検討し製品のデザイン化、製品の出来上がる過程において常にお客様を交え、お客様の意見に耳を傾け満足していただく製品を開発することを常に心がけています。
 また、デザイン、品質、価格的にも十分にお客様が満足していただける製品作りを目指しています。

苦しい経験が今日のノウハウに
 25歳で独立したときは、10坪の小屋に溶接機1台で車両部品・機械部品の溶接工場として、まさに裸一貫、一人でスタートしました。
 創業当初は今日の仕事はあっても、明日の仕事はないといった不安定な状況で、安定した仕事はありませんでした。
 昼は納品に追われるかたわら、受注先の確保のために営業に奔走し、夜は工場で溶接作業をするといった昼夜苦闘の日々が3~4年続きました。
 「いつまでも下請けの部品だけではいけない」、「自社製品を作りたい」という思いが強くなっていきました。試行錯誤してついに自社製品を開発し、完成品として販売するようになりました。このころは従来からの木製品が主流の時代でしたがスチール製の脚立・稲掛け器などをオリジナル自社製品として企画から製造したところ大きなヒット商品となりました。
 それからもモノづくりの難しさ、試行錯誤の連続でしたがその経験が今日のノウハウにつながっていると思います。
 時代において流々、主力製品は多様な変化を遂げていますが現在のイス・テーブルの製造・販売にも永々培ったノウハウが引き継がれています。

経営者としてのキーワード
●常にお客様目線で物事を考える。
●社員が満足する会社作り。
●地域社会に貢献。

今後の展開
 テーマは、めまぐるしく変化する経済状況において「スピード」が今後一層要求されています。
 お客様の満足できる納期対応についてはより一層の効率化を図る。
 当社の取扱いアイテムが椅子・テーブルで5,000点強、部材の管理までとなると数万点に及びます。
 現在、コンピューター化よりお客様に近い形で対応できる仕組みづくりに取り組んでいる最中です。

逆風に立ち向う経営者にアドバイスを
 不動産の下落、大手量販店の価格競争、デフレスパイラルに陥った今日の経済の中で、ものは売れません。われわれ製造業に対する顧客の要求は当然ローコストの商品開発です。また、安かろう悪かろうでもダメです。
 【良い】品質・【良い】機能・【良い】デザイン・【安い】価格を備えた製品を開発すること、そしてお客様の納期に間に合わせることが製造業者の責任です。
 時代の変化に対応できる体質づくり・頭の切り替えが重要です。

 

セミナー・ミーティングに柔軟に対応。
スタッキングできるからラクラク収納も。

  洗練されたオフィス空間を創りだします。
     
 
木のぬくもりが気分をリフレッシュ。   各務原工場

編集後記
 何気にいつも座っているイスが実は藤沢工業の製品である、日本中に世界にTOKIOブランドまたはOEM(相手先ブランド)としてたくさんのイス・テーブルが流通しているのです。

 製造工程を見ていると真剣にモノづくりに取り組んでいることが感じられます。「こんなにまじめに作ってあるから丈夫でいいものができるんだ」「デザインや使いやすさが工夫されていて心地よく使えるイスだ」「リサイクルや環境にも配慮してあり、地球にやさしいモノづくりを心がけていますね」このような気持ちになる取材でした。

 若いころから苦労されて事業をここまで成長させられた藤沢社長は、まさに日本の成長を支えてきた功労者です。

 今の日本の生活はまだまだ幸せだ、まじめにどんな仕事でもやれば食べていける。贅沢できた時代と比較せず、コツコツと努力すればうまくいく。貧困だった日本の時代はみんな必死に生きてきた、その努力をしようではないか!藤沢社長に日本の本物のおやじさんを感じた取材でした。

 『がんばれ、岐阜のモノづくり』と心の中でエールを送った取材でした。

ライター&インタビュワー:清水信勝・松本宰治・水井 太

税務署コーナー

源泉所得税のダイレクト納付について

 ダイレクト納付とは、事前に税務署に届出(「e-Taxの利用開始届出書」と「ダイレクト納付利用届出書」の2種類が必要です。)をいただければ、税務署や金融機関にお越しいただくことなく納付することができる、新たな納付方式です。

 特に、源泉所得税に関しては、e-Taxを利用して徴収高計算書を送信した後、簡単なクリック操作(受信通知に表示される「ダイレクト納付」ボタンをクリック)で即時又は期日を指定して納付(届出をした預貯金口座からの振替)することができますので、是非、ご利用ください。

 なお、法人税や法人消費税についても、ダイレクト納付が可能ですので、e-Taxを利用して電子申告している方は、併せて利用願います。

(注)ダイレクト納付は、ダイレクト納付が利用可能な金融機関に口座をお持ちでないとご利用できません。

詳しくは、e-Taxホームページ(http://www.e-tax.nta.go.jp)をご覧ください。

支部だよりあれこれ

第31回通常総会のご案内

委員会アラカルト

ブロック公演会

納税表彰

青年部会コーナー

女性部会コーナー

税務研究会コーナー

新入会員紹介