おまはん、ぜぇぁーしょはどこやったな?        

ことばのアドバイザー 神田卓朗 

 長年「ふるさと秘話」を執筆されていたエッセイストの道下淳さんが、昨年(2012年)の春季号を最後に残念ながら他界されたので、コーナータイトルも変わり、筆者もバトンタッチすることになった。道下さんは、以前私が勤務していた岐阜放送の母体で同系列の岐阜新聞社での大先輩に当たる。岐阜県の歴史や文化に造詣が深く、コツコツと資料を集め取材を重ねて、味わいのある文章をつむぐ書き手であった。新聞社をリタイアされたあとも、調査部(当時)に定期的に通われ、全国から送られてくる地方新聞をこまめに調べていた姿が印象に残っている。かくいう不肖の後輩は、今季号からスタートする「岐阜よもやま話」で、ことばの分野を含めた岐阜ならではの特色ある地域文化をご紹介し、皆さんに楽しんでいただけるような内容にできればと思っている。 

 さて1回目は、岐阜のことばにスポットを当てることにしよう。他県から訪れた人が分からなくて戸惑ったり、誤解したりするのが、土地固有のことば=方言・地域語だが、岐阜県の方言の中にもユニークなことばがある。今では岐阜県人のような顔をしている私も、かつて大阪から岐阜に来た当初は、ヒヤリングが困難な上、意味が分からず困ったことばがいくつかあった。たとえば「ざいしょ(在所)」である。しかもネイティブ・スピーカーは「ぜぇぁーしょ」と発音するので、初めの頃はさっぱり分からない。「神田さん、おまはん、ぜぇぁーしょはどこやったな?」と聞かれても「???」であった。あとになって、「ざいしょ」とは、出身地・生まれた土地・ふるさと・田舎・実家などを示す方言だと分かった。 

 私と似たような「ざいしょ」体験エピソードの持ち主がいる。京都出身で、現在岐阜の私立高校に勤務するF先生がその人。この高校で3年目を迎えた年のある日、職員室で上司のG先生が「F先生、最近ざいしょにいっとるかね?」と声をかけた、岐阜のことばにも少しずつなじんできたF先生だったが、「ざいしょ」は初めて耳にしたことばだった。てっきり、三重県の御在所岳のことだと思い、「いや、まだ行ってませんけど」と答えた。するとG先生は「ちゃんと行かなあかんぞ。親さん(=「親ごさん」のことを岐阜ではこういう)も気にしとんさるやろーで」という。F先生は内心「なんで御在所岳と親が関係あるのやろ?」と不思議に思ったが、上司の先生に気を使い、「そんなにええとこなんですか?」と聞きながらも、段々訳が分からなくなってきた。このトンチンカンなやりとりを横で聞いていたH先生が助け舟を出した。「F先生、ざいしょというのは、実家とかふるさとのことやぞ」。 

 学校から帰宅したF先生は、早速同じ京都出身の妻A子さんに「おまえ、ざいしょって知っとるか?」とたずねた。するとA子さんは「ざいしょて、あの御在所岳のこと?」と聞くので、F先生は「そう思うやろ?それがちゃう(違う)んや。実家とかふるさとのことなんやぞ」と、さも以前から知っていたかのように、得意げに説明するのだった。 

 日本方言大辞典を見ると、「ざいしょ」は岐阜県をはじめ、愛知・静岡・長野・新潟・富山・石川・福井・滋賀・三重・和歌山・大坂・京都・徳島・高知・島根などの府県に広く分布していることが分かる。また「大阪ことば辞典」で「ざいしょ」を引くと、「田舎のこと。自分の故郷を指して言ったことば。江戸時代の近松門左衛門の曾根崎心中にも出てくる古語」などと記されており、古い時代には大坂でも使われていたことばなのだが、大阪で生まれ育った私はほとんど耳にしたことがない。大阪や京都、兵庫出身の友人たち10人に聞いてみても「ざいしょ」は知らないという。このように、関西では「ことばの博物館」に保存されているような存在だが、岐阜県では、「ざいしょ」正しくは「ぜぁぇーしょ」は、今も現役で大活躍しているのである。 

 このような岐阜弁との出会いは、その後も日常的に続くのだが、私と印象的な岐阜弁との初めての遭遇は、実はずっと昔にさかのぼることになる。それは、京都の学生時代のことだった。友人の紹介で、高山から乗鞍岳や新穂高、上高地などに観光バスを走らせている濃飛バスと言う会社で、夏休みの間、観光ガイドのアルバイトをしたことがある。バイト初日の夕方、私は友人と一緒に、高山駅前近くの一軒の食堂に入った。こまかく刻んだサロンパスのような貼り薬を3つ4つ額のあたりに貼ったおばさんが、客の注文を聞き、夫の店主が「あいよっ!」と料理を作る、庶民的で小さな店だった。 

 友人と夕食をとっていると、やがて、その店の4~5歳ぐらいの男の子が、大声をあげながら元気に店の中にかけこんできた。おばさんは気を使って「お客さんがおるで」と小声でたしなめたが、子どもは相変わらず騒がしく走り回っている。ついに母親の堪忍袋の緒が切れた。こめかみのあたりに怒りのマークを浮かべながら大声で叫んだ。「うるせー!このクソダーケ!外へ行きねー!」。目が点になった私と友人は、お茶碗と箸を手に持ったまま、思わず顔を見合わせた。「くそだーけ?!迫力あるなァ」。初めて聞いたインパクトの強い言葉に、2人とも、しばし呆然としたものだった。 

 それから数年後の年末、入社が内定した岐阜放送に所用があって、久しぶりに岐阜を訪れた。その日は珍しく大雪の日で、名鉄の岐阜駅を出てタクシーを待っていると、大粒の雪がどんどん降ってくる。しばらくすると、傘を持たずに前に並んでいた若い男性が、雪の降る空を見上げながら、「こーの、たーけがァー!」と言った。空に向かって「たーけがァー」と言ってみても仕方がないのだが、ともあれ、私にとって岐阜弁との出会いは、なぜか「たーけまるけ」なのであった。 

 岐阜放送に入社したあとも、局内外で、この「たーけ」を良く耳にするようになったが、そのうちに「たーけ」には、英語に原形・比較級・最上級があるように、ランクのあることが分かってきた。つまり、原形は「たーけ」(正しく書けば「たわけ」だが、そんなに美しく発音しない)、比較級は、高山の食堂のおばさんが叫んだ「くそだーけ」と、「どたーけ」または「どだーけ」、そして最上級は、たまにしか聴けない「どくそだーけ」という訳である。ちなみに「たわけ」は、古くは「たはけ」と書き、「愚かな者・ばか者」の意味で、狂言や「世間胸算用」にも登場する古語である。「たーけ」の語源として良く耳にする「昔の百姓が田んぼを子どもたちに分けてやるうちに・・」と言う俗説は面白いのだが・・。「岐阜よもやま話」初回の「たーけしゃべり」はこの辺で。


松尾池 「合掌づくりさん、おまはんのぜぇぁーしょは、いってーどこやったな?」
合掌づくり 「わっちかな?わっちのぜぇぁーしょは、白川村やわな!」 

■「松尾池」の写真は岐阜市観光コンベンション課提供■